骨折リハビリのゴールを決めるということ

2020/12/11

リハビリ日記

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怪我の完治とリハビリの終わりは違うのか?

リハビリをもう1年と10か月以上続けているが、この問の答えは未だわからない。

折れてしまった右脛骨は手術で埋めたボルトのおかげでくっついた。
そのボルトも既に抜かれ、刺さっていた穴は勝手に埋まっていくだろう。

ならもう脛骨高原骨折の治療は終わり?完治した?

そう訊かれることがある。微妙な顔をして、首を傾げるしかない。

リハビリのゴールって、どこだ

足の骨折をした人のリハビリのゴール、と言われると何を想像するだろうか。

怪我をする前100%に戻ること?
歩けるように、走れるようになったら?
それとも病院で決められたテストに合格できたら?

リハビリが始まった当初、両松葉でベッドの住民だった頃の私は「松葉杖が取れたら普通に歩けるようになるだろうな」と思っていた。そうすればリハビリも終わると。

松葉杖が片方になった頃はこう思っていた。「じきにもう一本もいらなくなるし、そうしたら普通に歩けるようになるだろうな」と。

松葉杖が取れた頃はこう思っていた。「慣れれば以前のように歩けるようになるし、歩けていれば日常生活を送るうちに走れるようにもなるだろう」と。

そこから先ははっきりしない。明らかな区切りがないのだ。

松葉杖が取れたら、あとは自分の足で歩くだけ。とはいえ全く上手く歩けないし、すぐ足が痛くなるし、とんだりはねたり走ったりなんて論外だ。
言われた通りに筋トレをし、良くなったり悪くなったりを繰り返し、常に痛みと付き合っていた。

それでもこう思っていた。「歩けるようになれば、走れるようになれば、怪我する前100%に戻って、リハビリも終わる」と。

怪我する前100%、の曖昧さ

ところで怪我する前の自分と今の自分がどう違うのか、定量的に判断できるだろうか。

膝を曲げる角度、左右の筋力差、走る速さ、他の部位の筋肉の強さ。日頃スポーツをしている方ならぱっと出てくるかもしれない。

一方で運動とは無縁だった私には「怪我する前にできていた実験業務ができること」が怪我する前の自分像となった。(ちょっと補足すると、フラスコを立って振るとかではなく、十数キロの袋を持ち運んだり、全力全体重でボルトを締めたりの作業である。ヘルメット被ってするやつ。バリバリの現場作業)

で、これが問題なのだけど。
私は歩けさえすれば、怪我する前と同じ作業ができると思っていた。走れなくても、ジャンプができなくても、階段が一段ずつしか昇降できなくても。

上述した通り日常生活を遥かに超えた負荷量の作業だから、高確率でどこか痛めるはずなのに、「できるはず」と思っていたし、言い聞かせていたのかもしれない。それが自分の仕事で、その仕事をするのが当たり前だから。

怪我をしてからおよそ半年で復帰し作業をやって、見事骨折をした右膝だけでなく左膝、左腰、背中を痛めた私は、それでも鎮痛剤を処方してもらいながら、杖をつきながら実験業務をした。
リハビリは続けていたが、次第に筋トレからストレッチ、ほぐすメインになり、出来ないことがどんどん増えていった。何なら、鎮痛剤も杖も復職前はいらなかった。

そんな生活をしていたら、復職から4、5か月で適応障害を発症し、いよいよ再休職になる。

この膝と一緒に生きていく、という選択

再休職してからしばらくも、リハビリのゴールは「怪我する前100%に戻る」だった。

ただ、コロナ禍で担当理学療法士さんが変わったとき、リハビリのゴールが「復職すること」そして「日常生活で痛みが出ないこと」になった。

それになった当初私は、目標を下げること=怪我する前に戻れないことなのかとひどく落ち込んだ。もっと真面目にリハビリをしていれば、怪我する前に戻れたのかもしれないと自分を責めた。
「普通の骨折の人でさえ泣きながらリハビリをする人もいるのに、(貴方は泣くほど頑張っていないからもっとリハビリを真剣にやらないと治らないよ)」と親族に言われた言葉を何度も思い出した。

けれど心のどこかで、これは目を背けていた現実なのかもしれないと思っていた。

その頃に書いたnoteが これ 。理系職として生きていくと高校生の頃に決めてから、ずっと勉強してきた自分を否定するような気分だった。

それでもリハビリは続くし、辛いと思っても筋トレとストレッチは家で続けていた。
徐々に徐々に、自分でははっきりわからないけれども確かに改善は続いていた。

そしてボルトを抜いて、術後の痛みが過ぎ去って、もうしばらく手術はないという状況になったとき、ようやく私は「リハビリを卒業しても良いかな」と思えるようになった。

怪我する前に戻るのではなく、日常生活で痛みがなければ、できる範囲で生活していこう、と。

正直、疲れてしまっていた。
1年半以上毎週リハビリをし、ほぼ毎日筋トレとストレッチをし、ようやく見えてきたのが「日常生活で痛みがない」という状態。
そこから更に一体どれほどの努力を重ねれば、膝を痛めることなく実験作業ができるようになるのか。……そもそも、そのレベルに到達するのかどうか。
怪我だけでなく適応障害にまでなって、ずっと辛いと叫んでいた自分自身を、これ以上つらく追い込むことは、もう止めても良いんじゃないか。

今はこの膝と一緒に生きて、ゆったり自分がやりたいと思う範囲で筋トレを続けて、いつか、もし怪我する前に戻る日がきたら、その時に実験業務に戻れば良いんじゃないか。

この選択は自分の能力不足や諦め、挫折といった後ろ向きな選択じゃなくて、「自分を大切にする」という、前向きな選択なんだ。

そう受け入れることができたら、すっと日常が楽になった。

階段が痛くなくなったら、膝の異音と痛みが消えれば、もう日常生活は大丈夫。

あともうちょっとですねと理学療法士さんと話すことが恐怖ではなくなった。
リハビリを卒業しても、そこから先一人で怪我前を目指す必要はなくて、自分にとって「快」の筋肉を維持したり、運動してみたりすれば良い。
自分のやりたいように、好きなだけ。まあ、やりすぎて痛めるのだけはNGだけど。

リハビリを卒業したら、浮いた医療費は何にしよう、やっぱりスポーツジムかな、なんて考えながら今日も筋トレをしている。


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