まずはじめに。
この記事は以前noteに投稿したものを加筆したもので、私とこのアカウントは同一人物です。
あの日のことはずっと忘れないだろうし、少なくともこの四半世紀こえた私の人生の中で最も長い1日、というか、半日だった。
怪我する前の私に、当たり前のくだらない日常を大切に、たまには親孝行で掃除でもしなさい、毎日寒いけど散歩行きなさいよ、なんて言うことはもうできないから。
落下、骨折
2019年2月半ば、とある日曜日の昼下がり、友達と初めてのボルダリングに行って、それで落っこちた。私の大怪我は客観的に書くと、それだけ。ほんの一瞬だ。
運が悪かったのか、怪我をしやすい体質だったのかはわからない。
1.5 mくらいの高さから、ふかふかなマットに右足だけで落ちた瞬間、私の身体にボキリという音が響いて、「あーやってしまった、骨折は本当に折れる音がするんだ」と思った。そして激痛、まったく動けない。うつ伏せに倒れ込んでしまったから、寝返りさえも打てない。
しかし不思議なのは、綺麗に着地したはずなのに膝あたりが痛い。足首が衝撃で折れたわけではなさそう。痛い。動けない。どうしたんだと人が集まってくる。
救急車を呼んでもらった。
偶然居合わせた看護師さんに「膝が痛い」と言うと「押しても痛みないし、靭帯やったかな?」と言った。私は骨折だと確信していた。だって、ボキっていったもの。うろたえる友達を余所に、私は全く動けないせいで痛くない体勢を取ることさえできず、ずっと「痛い痛い」と泣き続けていた。可愛いディズニーのハンカチを貸してくれた。
救急車、到着。病院へ
ようやく救急車が到着したけれど、担架にどうやって乗せよう、とみんな困ってしまった。
私はうつ伏せのまますこしも動けないし、手足を掴んで持ち上げようにも、足を少し動かしただけで泣きわめく。痛すぎて具合が悪い。
結局、左右に分かれた担架を両側から体に差し込む形で乗った。とはいえめちゃくちゃ痛くて、担架を持ち上げられてストレッチャーに乗った時も痛くて、救急隊員さんが持参したブランケットで膝の角度を軽く曲がった状態に固定してもらって、ようやく私は泣きやんだ。
病院への道中。結構救急車が揺れて乗り心地悪かったこと、揺れる度に激痛でうめいたこと、喉が乾いてたことを覚えてる。
その日、甘いパンケーキとコーヒーをランチにしてた。たまにはお昼に甘いものでも良いかな、晩ごはんにちゃんとお肉を食べれば良いか、って。それでボルダリング中に喉が乾いていて、このコースを登ったらお水買いに行こうって、そう思ってたのに、買いに行けなかったから。
その日のパンケーキは、健康な私の最後の晩餐だった。レモンパンケーキでした。美味しそうでしょ。
病院に到着、レントゲンにいく
病院の検査はまあ地獄だった。
レントゲンを撮ったことがある方は多いと思う。誰しも検査台に乗らなければならないのはご想像いただけるかなと。
で、病院の自動ドアの段差をストレッチャーが通る度に足が動いて呻くような(この時初めて自動ドアに段差があると知った)、少しでも足を動かしたら泣き叫ぶくらいの人間が、検査台に乗ったり降りたりなんて、とてもとても。
複数人がかりで持ち上げて下ろされるのだけれど激痛で泣く。撮影用の角度を固定するのにまた泣く。
もう目も開けていられなくて、その時の景色はさっぱり覚えていない。いつ体勢がうつ伏せから変えたのかも、全く。
ただ、撮影直後の誰かの「折れてる!折れてる!CT!」って叫びは聞こえて「やっぱり折れたんだなあ」って思った記憶はある。人生初骨折。
このX線CTがまた拷問だった。検査に時間がかかるのだけれど、その間足の角度を硬いプラスチックで固定され、しかも動くと綺麗に撮れないからじっとしているしかない。
痛い角度のまま十数分かそれ以上じっとしていろだなんて、もう拷問そのもの。
目を瞑ってひたすら泣き耐えるしかなかった。なんで意識あるんだろうって思った。普通こんなに痛かったら意識失ってもいいじゃん、って。
そのままガラガラとストレッチャーごと診察室と思われる場所に連れて行かれ、結果、脛骨高原骨折(脛骨プラトー骨折ともいうらしい)だった。
脛の骨のてっぺんが、ざっくり3分割されていた。1cm以上ずれてて、手術しかなくて、2か月は体重かけれませんと言われた。しかも”おまけのように”隣の腓骨のてっぺんも巻き込まれて潰れている。立派な大怪我である。
ここが折れてしまうと、体重は一切かけられないし、曲げ伸ばしも全然できない。厄介なことに、伸ばしきった状態(0°)でも激痛、曲げても激痛なので、膝下にクッションを差し込んだままの状態でしか、泣き止めないのである。
先生がパソコンの画面に私の膝のレントゲンを出して、ここが折れていますと言った。が、当時の私は気が動転してたのか、泣きすぎで視力がなかったのか、レントゲンを見せられてもどこが折れているのか全然わからなかった。
実家に帰って入院手術をした方が家族のサポートがあって良いでしょう、と言われて家族に電話をかけたものの、何故かタイミング悪くみんな出掛けていた。「連絡がつきません」というと先生も困った様子だった。私は介護ベッドの上でずっと泣いていた。どうすれば良いか分からなかった。
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